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あかね雲 〜生きる意味〜
不思議な世界行ったり来たり???
見えない世界のキツネ
見えない世界にもキツネがいる。

神界に住み人間の手伝いをする「お使いキツネ」と、
神社にいて人間と神界の橋渡しをする「稲荷キツネ」だ。

それぞれの違いは、瞳の違いとして私に教えてくる。

神界のお使いキツネは黒く丸い瞳で、私を視る。
稲荷キツネは、人間が好んで作り神社に置物としてある目の細いキツネの姿で視せる。

稲荷キツネは、一様に白く輝く姿で私に視せる。
お使いキツネは白い毛並みもあるが、他にも茶色や金茶や黒い毛並みで視せることがある。
それぞれに性格も違い、優しい子、ヤンチャな子、いたずらっ子やワンパクなのも居る。
でも、どれもが仕事には熱心で真剣に手伝ってくれる。

お使いキツネのひとりに、パオがいる。
今世ある能力を持って生まれてきたAさんの役目を手伝うために出会い、そこで名前を
つけてもらっている。その名前は『パオ』だ。

パオは時折、我が家に訪ねてきて私に姿を視せる。

以前に私がヒーリングをしていた時、クライアントさんに着せていた毛布が、いきなり
有り得ない動きをした。しかし、クライアントさんは気持ちよく寝息をたてている。
私の目の端を白い光がかすめ、パオが身をすり寄せて来るのが分かった。

パオは温かく心地良い。
しなやかに身体を丸めると。私にピタリとくっついてきた。
1時間後、私はパオと話していた。

「さっきいきなり毛布を動かしたのは、パオでしょう?」
『そうよ。でも人間には触らなかったんだけど、悪かったかな?』

「ううん、大丈夫よ。起こすまでグッスリ眠っていたから、パオには気付かなかったようね。」
『あぁ、良かった。起こしては申し訳ないものね。』

「今日パオが来たのには、何か訳があるのでしょう?」

パオは黙って私の方を視る。だんだんと首が下がり、ションボリした姿になる。

「どうしたの?」
『お姉さんは変わらないのね。』

「変わらないって、私の何が変わらないのかな?」
『お姉さんは神仏や私たちの誰が来ても、どんなに手伝っても、何も変わらないの。
 だから、皆が喜んで手伝うし、一緒に仕事ができることを楽しんでいる。』

だってそれは・・・皆さんがいろんなことを手伝ってくれるのが私はとても嬉しいし、
手伝ってもらえる私でありたいと願い、望み、感謝をしているからだと思う。
パオも、人間が持って生まれた能力を発揮できるように、Aさんの側に居て手伝っている。

「何かあったの?」
『人間って、どうして勘違いをしたがるのかしらね。』

パオの言うことによると、仕事を手伝うために居るお使いキツネの存在を、自分で勝手に使える
キツネだと思い込んだり、勘違いをするということだ。
態度や言葉が願いや祈るのではなく、命令になってしまうという。
感謝するどころではなく、勝手な言い分を押し付けることになってしまうと言う。

お使いキツネが自分に付いていることを自慢したり、キツネ本来の仕事ではないようなもの
さえも、やらせようとするようでもある。
いつしか自分が高慢になったり、傲慢になっていることに気付かない。
お使いキツネが付いていることが当たり前になっており、自分の能力を過大評価するように
もなっているようだ。

お使いキツネが付いているからこそ、より謙虚になり感謝をすることなのに・・・。
お使いキツネが付くということは、それだけ役目が重く大きいということでもある。
それだけ大きく成長しようと、自ら決めているからでもある。

パオはAさんに気付いてほしくて、メッセージを送り続けている。
しかし、高慢になったり傲慢になっているAさんには届かない。
メッセージが届いても自分勝手な解釈をしてしまい、本来の意味からは外れてしまうことになる。

私はパオの話から、人間の高慢さや傲慢さの持つ恐ろしさを、改めて知ることができた。
私の中にも高慢や傲慢がある、だからこそ気をつけたいと、パオとの話は尽きなかった。




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この記事に対するコメント

こんにちは。
「実るほど頭の垂れる稲穂かな。」
時あるごとに、いつも頭の中をよぎる、言葉です。

過去、傲慢さのかたまりになっている自分が
いたことがありました。

その時は気づけませんでしたが、
今思えば、あの時、この時、
自分に起きた出来事が、
メッセージとして現れたのだと、
今だから思えることが、多々あります。

また今日も、肝に銘じて…。

ありがとうございます。
【2007/05/29 11:43】 URL | くまこ。 #Fw3OIWkE [ 編集]

不昧因果
あかね雲さま

はじめてお便り差し上げます。
毎回、興味のあるお話をお聞かせいただき、ありがとうございます。

妖怪さんをはじめ、通常は人の目に見えない存在の方々が我々の世界と隣接(という言い方は不適切かも知れませんが、まあ異次元といいますか、三次元との兼ね合いからどこかで重なった状態ではあるのでは、と感じております)している世界の存在についていろいろご紹介をいただき、ときには感動・感激しながらお話の内容を拝読しております。

なかなか、こういうスピリチュアルなものは、いわゆる「信じる、信じない」の世界にわかれてしまい、ややもすると「UFOの存在を含めて科学的に証明できないことは納得できない。信じない」と短絡的に扱われることが多いと思うのですが、これは本当にわかる人にしかわからない、というか受け入れられない世界の話だと思います。

私自身、前世のことがわかるわけではないのですが、ただ「自分は自分で選んでこの世に生を受けた」という思いを人生が深まるほどに強くしております。

実は、私の実家は名古屋市中区にある寂れた曹洞宗の寺院です。現在、檀家・信徒もなく、有名無実的なお寺で、住職は私の兄が一応資格だけは持っており、形上はお寺として成り立っているのですが、本来のお寺としての機能はほとんど発揮していない状況です。

私もサラリーマンだったのですが、去る平成5年、今から14年前の47歳の折に得度をして仏門に入りました。(現在、兄は海外赴任中で、一応のお寺の雑事は私が「本業=企業の年史・社史などの編集業務」の合間をぬって務めています)

しかし、その後12年間、寺の業務と言えば自主的な朝のお勤め、春秋の彼岸やお盆の折の親寺の手伝いの墓経(それなりにお経は読めます)やお盆の法要、たまに葬式の手伝いという程度で、曹洞宗の規約にある手順を踏んでいなかったため、1年半ほど前に僧籍除籍の通知を本山から受けました。

現在、復籍に向けて親寺の住職にお願いしておりますが、それもなかなか前に進まず、現在は半還俗状態でお寺の雑務をこなしています。現在、59歳ですが、65歳までには必ず本山にて最低の住職の位は取得することを自分では決心しています。

そんなこともあり、恐らく自分の前世は僧籍関係にあったのではないか、また、以前イタリアを訪れた際に、妙に懐かしく感じられたことからバチカンにも何らかの関与をしていたのではないか、と感じており、現在隆盛を誇っていない寂れた寺院を選んで生まれたのは、寺院再興も含めてその辺りのことがあるのではと感じております。

前置きが長くなって申し訳ありません。ここからが本題です。

本日のお使いキツネと稲荷キツネのお話も興味深く拝読しました。
その際、ふと思ったのは禅語の中にある「不昧因果」とはどうとらえるべきかということでした。

「不昧因果」については、ご案内のことかも知れませんが、概略しますと、昔の中国で百丈懐海(ひゃくじょうえかい)という高僧が説法をするときにいつも熱心に聞いている老人がいて、ある時、その老人が懐海和尚に尋ねるには「自分は500年前に住職だったが、ある過ちのためにキツネになっていた。その過ちとはある修行者から『悟りを開けば、因果の法則から脱せられるか』と問われ、『不落因果(脱せられる)と答えてしまったため、キツネにされてしまった』とのこと。

そこで老人が懐海和尚に『悟りを開いても、因果の法則からは脱せられないのか』と尋ねたところ、懐海和尚は『不昧因果。因果をくらまさない』と答えられたことから、老人は悟ることができ、キツネの身を離れて成仏できた、という話です。

ここで、このキツネの身とはお使いキツネでも稲荷キツネでもない、通常の動物のキツネかと思われますが、なぜ、キツネは目に見えるキツネと目に見えないキツネがおり、目に見えるキツネは悪者の代名詞のような使われ方をしてるのか。この点をどのように考えればいいのかをお聞きしたくて長々となりましたが、メールをお送りした次第です。

名古屋在住のため、あかね雲さんと直接お会いすることは難しいかも知れませんが、いつの日かお会いできるのではないか、と楽しみに思っております。

以上、感じたことを述べさせていただきました。失礼しました。

二代目勤勉亭親不孝(鈴木雅貴)

*ついでながら、二代目勤勉亭親不孝はペンネームでこの著者名で「声に出して読みてゃあ名古屋弁」「ええがね名古屋」など名古屋弁関係の本を東京のすばる舎から出しています。
【2007/05/29 11:56】 URL | 二代目勤勉亭親不孝 #- [ 編集]

 きつねさん たいへんでしたね
 私だったら、、、やはり思い上がって傲慢になってしまうんじゃないかな
と思いながら読みました。
人にはない力を持ちながら 謙虚でい続けるのってきっとすごい大変なことだと思います。
これからもずっと あっちの世界からも こっちの世界からも愛されるタルコさんでいてください。   
【2007/05/29 12:57】 URL | かんなん #- [ 編集]


それでも自己をいっこうに省みることなく、
傲慢や傲慢だったりし続けると狐さんは見切りをつけて
離れていってしまうのでしょうか?
それとおかしな質問ですが、九尾と呼ばれる尻尾が
割れている狐さんはまたちょっと違うのですか?
【2007/05/29 13:17】 URL | マエストロ #8O9mbzZc [ 編集]

くまこさん
過去に傲慢さがあったとしても、今のくまこさんはそれを学びとして、肥やしとして
しっかりとご自分の成長に役立てていますね。
受け止める潔さが、成長へと繋がっていると思います。
【2007/05/29 16:12】 URL | あかね雲 #- [ 編集]

二代目勤勉亭親不孝さん
ご教示をありがとうございました。
おぼろげながらに聞いたことのあるお話でしたが、改めて読むことによりはっきりしました。

キツネの言い伝えは、中国の伝承からのことが色濃く残っているようです。
見えない世界で言えば、本来はエネルギー体であり形の決まっているものではありません。それがキツネとなったのは、人間にとって親しみやすいもの、分かりやすいもの、人間がそれと視ることによって判断しやすいものとして、形に表されたものです。

昔はキツネが人間の身近な動物であったことから、感情移入したり擬人化したりと
使われたことにもよります。

今となっては伝承が先なのか、キツネの見た目からの想像が先なのか分かりません。
【2007/05/29 16:35】 URL | あかね雲 #- [ 編集]

かんなんさん
私は自分で決めてきたことだから・・・と、はっきり自覚しているからかもしれません。
他の誰にも責任の持っていきようがないので、ただそうあるものと思い、行動しています。
頑張りますv-218 ありがとうございます
【2007/05/29 16:40】 URL | あかね雲 #- [ 編集]

マエストロさん
人間の高慢さや傲慢さは、その人自身が自らを汚すことになります。
汚れた所には、お使いキツネは存在することができません。
だからいつかは、離れざるを得ないでしょうね。
お使いキツネが見切りをつけて離れるというよりも、人間が汚れることによって
キツネを追い出すということの方が近いでしょうか。

本来の見えない世界での、九尾のキツネは存在します。
ただ、言われているような妖狐ではありません。
稲荷キツネやお使いキツネは普通の尾です。
九尾の狐は一体ですが、稲荷キツネやお使いキツネはある程度の数は存在しています。
【2007/05/29 16:52】 URL | あかね雲 #- [ 編集]


丁寧かつ迅速なご回答ありがとうございました。
【2007/05/29 18:24】 URL | マエストロ #8O9mbzZc [ 編集]

マエストロさん
コメントをありがとうございました。
また何か気付いたら、コメントをくださいね。
よろしくお願いします。
【2007/05/29 23:11】 URL | あかね雲 #- [ 編集]


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